人が優しくなる瞬間(グラン・トリノ)

グラントリノが評判どおり素晴らしい。

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ラストがラストだから、みんなその話ばかりするんですが、僕は序盤から中盤にかけてがツボでした。

物語は老人の妻がなくなるところから始まります。
妻を亡くした老人は、子供や孫との溝ができてしまっている。なぜなら彼は、朝鮮戦争で大勢の人間を殺した罪の意識に苛まれているからです。
口を開けば皮肉、悪口、憎まれ口。こんな人、周りにいませんか?僕はいますが、その二人は二人とも、周りから愛想をつかされて、避けられてしまっています。(笑)。内面は外からは見えませんからね。見えたところで、自分の心の苦しさを外に撒き散らす人は、よほど魅力的か、親しい人でなければ敬遠されるでしょう。まー身近にいたら「お前の気分の悪さに俺をつきあわすんじゃねーよ!」ってことになりますね。
人が離れていく。その寂しさがさらに口を悪くする。悪循環。
もう孤独死一直線のルートなわけですが・・・そんな老人に出会いがあるわけです。
ここは、もう文章で書くだけ無粋というもの。この流れをそのまま文章で表現できるなら、僕はとっくに小説を書いて新人賞をとっているものと思われます。ああ、人ってこんな風に心が通っていくんだなぁ、というお手本がここにあります。勿論、映画なので、すっげーわかりやすくデフォルメされているんですが・・・なんか、この流れが涙が出てしょうがなかった。
突然ですが、コミュニケーションって聞くことから始まると僕は思っています。これだけ人間のいる現代で、「あれ?なんかあの人面白そうだな」って人がいたら、まず観察する。そして、聞く。自分の気持ちをおしつけるのではなく、ただ見て、純粋にその人の気持ちを想像してみていれば、なんとなくわかってくる。そういうものなんじゃないかなぁと思っていましたが、この映画を見て考えを強めました。
このイーストウッド演じる老人とアジア人の少女、さらに老人とアジア人の少年が、徐々に心が通い合っていくのがわかります。老人の下で少年が働くシーンがあるんですけど、そのシーンがすごく良かったんですが、直接教える描写があまりないんですよね。ただ、少年が働くところをイーストウッド演じる老人が見ている。そして、たまに指示を出す。人間って、ただ見てることで感情移入が発生する生き物なのだなぁと。
さらに言うなら、これって、老人とグラントリノの距離感と一緒なんですよね。ただ見ている。そしてたまに手入れする。すると、ただの車が、ただの隣に住むアジア人が自分の体の一部みたいに思えてくる。そうすると、さらに周りの人に寛容になれるんですよね。隣人と仲良くなってからのイーストウッドはあからさまに優しくなっている。そこの機微がめちゃくちゃうまいです。

話題になっていたのと、あからさまなネタバレになるのであえて触れませんでしたが、ラストも必見です。
・・・と、以下ラストのネタバレ全開というか、ストーリーを知っている前提でいきます。
少しさっきとも被りますが、この話は罪が救済されていく物語でもあるんですよね。
イーストウッド演じる、ウォルトの罪・・・自分で自分を責める心理の発端は朝鮮戦争でアジア人を殺したことに由来しています。
本人が言ってますよね、「人を殺した気分?最悪だよ、それ以来ずっとね」と。
冒頭で隣人のアジア人を「イエロー」と侮蔑して遠ざけようとしているのも、朝鮮戦争での記憶を思い出させるから距離を取っておきたいのだと推測できます。
でも、それは・・・他人に対する距離感はイエロー相手じゃなくても同じなんですよね。優しい言葉をかけてくる家族でも、神父でも、「俺の気持ちがわかってたまるか」と、自ら交流を断ってしまっていた。家族は、それに慣れ切ってしまって、「早く死んで遺産くれねーかな」という下心丸出しの境地まで行ってしまっています。唯一心が通じている描写があるのが、パワフル語(笑)が通じる同年代の床屋のおっさんであり、工事現場の監督であり・・・似たような心境に達しているおっさんばっかなわけです。この交流はこの交流で熱いんですが・・・世代間を越えない交流なので、後に残すものがないし、閉じている。何にも続かない、自己慰撫にしかならない交流なんですよね。
話が逸れました。ウォルトは最初、他人をなるべく遠ざけることでバランスを取っていた。しかし、ひょんなことから隣人を結果的に助けることで、古いアメリカンヒーローのように扱ってもらえるようになる(笑)それだけではない。隣人の女の子は、ウォルトを、「客」としてもてなすんですよね。ただ、損得の無い純粋な友人として、ご飯に誘い、会話を交わす。一方的に老人ホームの案内や老人介護グッズをプレゼントしてくる息子夫婦と対照的です。ここでも、少女は、純粋にウォルトをみているからこそ成立した人間関係だと思うんですよね。そこからがウォルトの、人生で数少ない、そして最後の安らぎに満ちた時間なんだと思います。だから僕はもう号泣です、壊れることがわかってるから(笑)そう、当然長くは続かないんです。なぜなら、その手法では――ゴロツキに銃をつきつけ、悪党には銃をぶっ放すヒーローのやり方では――実は現実の揉め事は解決できないことが露呈してくるから。復讐は復讐を生むから、悪夢が連鎖してしまうのです。
だから最後は「あの方法」しかなかった。自分の罪を、憎い相手に被せる手法。
「人を殺した」ということが、どれだけ後味が悪いものか、どれだけその後の人生を破壊するかを身をもって味あわせる、ということです。例え、合法でもウォルトがあれだけ苦しんだ罪。逆に、「殺したい憎い相手に味合わせたいと思うほど、ウォルトは罪の意識に苛まれていた」とも言えるでしょう。
もう、そこらへんはうまいとしか言いようがないです。
歴史に残る傑作です。Ashが2010年に見た中では暫定ベストの映画です。2009年に見ていれば、文句なしでベストオブベストだったと思います。